
朝からひぐらしの鳴く声がして、ほんのつかのま涼味を覚えた。
手持ちのざるを畑の収穫物でいっぱいにして夕涼みに立ち寄るご近所さんは、本堂前の階に腰かけて夕飯の支度ができた頃を見計らって帰っていく。
「いらんか? 食べえへんか」 それに、さっきMさんに、H子さんに…と、すでに先客の頂き物が重なっていることなどは一切口にしない。実際困るほどあったそのかさは、今年は減少気味。気温が下がらず、「夕涼み」の時間がなくてみなさん出歩くのを控えているのだ。
薬缶にお茶を作って冷やしていた義母に倣っていたが、今年はペットボトルのお茶に変えた。風情のないことだが、湯飲み茶わんを重ねた盆と一緒に来訪者のもとに運んで、一緒にのどを潤す。誰しも、このいっときのお喋りで、籠りがちの暮らしの気を開放しているかのようだ。
街中に出れば、いったい何の催し物があるのかと思うほどに人があふれていて、右往左往しなくてはならない。そこに暑さが加わる。節度も何もありゃしない。そんな雑踏を離れ、すっきりとした暮らしの中で微かな季節の移ろいに心を傾け生きたいものだ。それには身辺の塵、ゴミを払い、身の回りの情報の取捨選択がいる。
頂き物の茄子でお浸しに。私は「オヒタシ」と言うが、それでは「新鮮な茄子の味が落ちる。オシタシと、京ことばで言うほうがおいしい」と相馬大さんが『京の歳時記帖』で書かれている。
長茄子 長豇豆など ざるの中 虚子
長茄子を半分に切り、湯がいて細く切る。摺った白ゴマと醬油でごまあえにしていただくのがお茄子のお浸し。「夏の夕食にはこのお浸しが続く」と相馬さん。
「老人食やな」と聞こえてきたわ…。茄子には油が合うからね。素揚げして、麵つゆに漬けて冷やし、細く切った生姜をたっぷり添える。これも簡単なうえに、皆が好んだ。
廊下の窓を開けてみた。熱気は冷めないが虫の音が数日前より豊かになって、耳に心地よい。