近江の人と滋賀県立美術館を訪れた。「おさんぽ展」が会期の終りを間近にしていることもあるが、ちょっと日常を離れるのもよかろうとの心遣いをいただいた。

近江八幡市の荘厳寺蔵の重文「空也上人立像」がずっと心のどこかに引っ掛かっていたのだ、拝見したいなと。けれど、まあいいかぁ…とやり過ごしていた。
これまで地元紙で何度か案内されてきたが、像の口中には針金のようなものが残っているらしい。本来あったのであろう6字名号の像などを六波羅蜜寺の上人像に重ねて思い描いている。左の足元は、今まさにつま先への体重移動がなされようとしているか。

「散歩」というテーマとは異なるがと説明にもあるが、民の救済を祈って諸国をめぐった遊行の聖たちの姿。また、ただ歩くことに専念し、一歩一歩をゆっくり踏みしめ心身を整える、禅の修行の姿だという「経行」の姿も描かれる。一見に如くものはないのだが。
「かなしみをあたためあって歩いていこう」とは坂村真民だった。地上を歩く同行者の思いやりであり、誓いであると。
ウォーキングツアーに参加するなどして、関心のある道を歩いてみたいと思いはしても、なぜか以前のようなファイトがなくなった。そぞろ歩く「散歩」もいいものだと思うようになったせいだろうか。
道は一歩一歩歩くものである
心を凝らして 泥を踏みしめていけば
路傍の花や虫の小さな世界も見える
ゆき交う人と情感を共有することも
この立松和平さんの言葉(「象にのって」より)は人生の滋味にも思い至らせてくれて、座右に置いている。

たまに会う友人との時間が、忘れかけた大切なことを気づかせてくれた。この時期は一つの目的に向かっているのだけれど、せかせかと早送りに日々を重ねていると心の余裕を失ってしまう。
仏具の磨きものに女性陣の手を借りなくてはならない。段取りし準備もいる。注文品は揃ったか。当番さんとの連絡も密にしないといけない。エッセイサロンにも欠席したくない。あれやこれやの思念が睡眠不足を招く…。
「まずまずです」、笑ってこう言えるゆとりを持たなくちゃな。